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花王データサイエンス室が考える「10年使えるデータ活用基盤」の思想とデザインとは

花王のデジタルマーケティング施策を支えるデータサイエンス室は「10年使えるデータ活用基盤」を構築を目指す。ポイントは現場との議論の積み上げ方にあるという。その思想とデザインを聞いた。

» 2020年01月27日 08時00分 公開
[土肥正弘ドキュメント工房]

 古くからデータを活用したマーケティングに取り組んできた花王は、デジタル変革の波の中で情報基盤の見直しやBIツールの活用をカギに、将来も使い続けられるデータ活用の仕組みを実現しようと挑戦を続ける。その活動の中心を担うデータサイエンス室メンバーが過去の挫折と現在の挑戦について語った。

「隠密組織」が立ち上げた「変化に耐えて10年使えるデータ分析基盤」構想

 花王のマーケティングの基礎は同社元会長の佐川 幸三郎氏にある。佐川氏の著書『新しいマーケティングの実際』(プレジデント社、1992年)では、「マーケティングは知的で創造的な仕事である」「ハードとソフトの両技術のブレークスルーが要求されている」「創造性、革新性がなければ組織全体が時代に取り残される」「誰でも、いつでも、どこでも、容易にアクセスできる情報インフラ構築が近代的組織運営に不可欠な要素」など、現在にそのまま通じるマーケティングの基礎と要点が示されている。

 現在同社のデータサイエンス室長を務める佐藤満紀氏は、入社当初からその思想を学んだが「ほぼ30年たった今でも挑戦している」と理想に向かう活動の難しさを語る。

 花王がマーケティングに特化したデータ解析部門を設置したのは2004年のことだ。佐藤氏が参画したこのプロジェクトチームは狭い部屋に5人が集まり日々データ分析を行う、同社内でも「隠密組織」と呼ばれるような隠れた存在だったという。このプロジェクトで佐藤氏は3つの挫折を味わったという。

 「最初の挫折は、高価な機材を用意したのに真価を発揮できずに『猫に小判』状態になってしまったこと。第2の挫折は、分析要件の変化が激しく、ソフトウェアの開発が回らなくなり、開発現場が疲弊したこと」と当時を振り返る。だが、最も大きな挫折を感じたのは「従業員に変化への抵抗があり、仕事のやり方が変わらないことだった」。

花王 マーケティング創発部門コンシューマーリレーション開発部データサイエンス室 室長 佐藤満紀氏 花王 マーケティング創発部門コンシューマーリレーション開発部データサイエンス室 室長 佐藤満紀氏

本記事は2019年11月6日のドーモ株式会社主催「Domo Reimagine Tokyo」での講演を基に再構成したもの。


挫折からのリベンジへ、10年使えるデジタルデータ活用基盤には何が必要か

 この挫折から12年後の2016年、佐藤氏らに転機が訪れる。BIツールによるデータ分析が一般的になりつつあったからだ。既にBIツールは普及途上にあり、いくつもの製品が存在していた。

 これまで実現できなかった課題を解決し、挫折の要因にリベンジするには最新ツールによるデータの効果的な活用が鍵になると考えた佐藤氏の目に止まったのは、米国に本拠を置くDomoのBIツールだった。実際には2017年にDomoのトライアルを開始し、2018年に実際の導入に踏み切った。

 このタイミングで佐藤氏らデータ解析部門は、領域横断でデータドリブンマーケティングの体制を構築する専門組織「データサイエンス室」としての活動を開始する。データエンジニアリングを担う情報システム部門、データサイエンスを駆使するマーケティングリサーチ部門、ビジネスを推進する事業部門を横断してデータドリブンマーケティングを推進するのがミッションだ。

 データ活用の基盤を構築するデータエンジニアリングを担うデータサイエンス室の白石光弘氏は「データの量と種類が激増する現状に対応するには、データの自動収集や複雑な加工・演算ができるバックエンドインフラが必要」と語る。

 また、データ活用基盤に求められる条件として、KPIやデータフォーマットの変化に柔軟に対応できる環境を挙げる。さらに業務引き継ぎの効率や、全社でのデータ管理方法も検討すべき項目だと指摘する。

 「データサイエンティストの仕事の8割は、前処理に費やされる。データ分析基盤の能力を使ってこの工程をゼロに近づけたい」(白石氏)

10年使えるデータ分析基盤には、何が必要か

 役割の違う3部門をつなぐ軸になるのは、(1)データ活用基盤、(2)ユーザーの次の行動決定を支援するデータ分析、(3)現場でデータを活用するためのBIダッシュボードだ。

 花王では図1のように、情報活用インフラを「データ収集」「前処理」「加工」「利用」の4つの階層に整理し、それぞれを疎結合することでシンプルなデータ処理フローを構築することで、課題解決を可能にしている。

図1 データ活用に必要な処理フローを4階層に整理、それぞれを疎結合 図1 データ活用に必要な処理フローを4階層に整理、それぞれを疎結合

 収集フェーズでは、さまざまなデータソースからデータを吸い上げる「ハイブリッドパイプライン」を構築した。集めたデータは各種の前処理用のマイクロサービスを組み合わせて構築したデータ処理基盤で加工する。次に階層化したクラウドデータベースで加工する。加工したデータはBIツールや表計算ソフト、統計分析ツール、Pythonなどによる自社開発アプリケーションで利用できる。

 白石氏は「10年使えるデジタルデータ活用基盤を作りたい」として、そのために必要な条件に「一貫した思想に基づくデザイン」を挙げる。

 「システムが変わっても基礎のデザインが陳腐化しない普遍性、プラットフォームへの非依存性が重要だ。変化に対応できる柔軟性と拡張性、長期的に安定して活用、継承できるような管理、運用の容易性も必要」(白石氏)

データサイエンス室 白石光弘氏 データサイエンス室 白石光弘氏

分析案件の本当の目的を探り、次の行動につながるデータ分析が必要

 必要なデータを入手しやすい環境が用意できたら、どうデータを分析するのが効果的かを考える。

 データ分析を担当する花王 データサイエンス室の稲葉里実氏は、データ分析には「分析を依頼するユーザーの本当の課題を理解し、次の行動につながる分析を実施することが大切」だと強調する。

データサイエンス室 稲葉里実氏 データサイエンス室 稲葉里実氏

「状況を把握したい」言葉の裏を探り、現場での次の行動につながる情報を提供する

 「ECサイトでの売り上げの状況を理解したい」と漠然と依頼されたとき、日別の売り上げグラフや、週別のサマリーのグラフで答えたとしても、現場での次の行動につながる情報は少ない。こうしたときに、より深掘りするための議論の場を設けることが重要だという。

 稲葉氏は「ユーザーには具体的な課題がある。それは議論によって抽出しなければ分からない。データサイエンティストとしては、受け身でなく、次のアクションを意識して課題を顕在化することが重要」だとし、「データに付加価値を付けることで大切なのは、目的を深く理解しているか(何のために何を知りたいのか)と、可視化が目的を達成しているか」だと説く。

 ビジュアライゼーションの華麗さよりも理解しやすさが重要で、ユーザーに読み込ませるのではなく、自身に気付きが得られるように可視化することが重要だということだ。

図2 ユーザーの本当の目的に資する情報を提供(前年同時期との売り上げ対比の例) 図2 ユーザーの本当の目的に資する情報を提供(前年同時期との売り上げ対比の例)

 この他「ECサイトの売り上げが国内店販の売り上げ傾向と異なる。インバウンドの影響か?」という問い合わせが寄せられることもあった。だがやはり依頼者と議論してみると、本当にやりたかったことは「来期の予算策定や施策時期を決めるために、ECでのインバウンドの影響と国内需要を判断したい」だった。それならば、とインバウンド売り上げの特徴を数式化し、インバウンド需要を可視化した。結果として国内需要も捉えるべきとの結論を導き出せたという。

図3 インバウンド需要の可能性を分かりやすく可視化 図3 インバウンド需要の可能性を分かりやすく可視化

 他にも「ECサイト商品ページへの流入キーワードが知りたい」という問い合わせで議論したときは、本当にやりたかったことが「リスティング広告のキーワード設置のために、より多くの消費者に伝わるキーワードを知りたい」だと分かった。そこでキーワードを検索回数ランク順で色指定し、検索ランクとリーチ効果の高いキーワードを大きく表示する「検索ワードクラウド」を作成し、どのキーワードが効果的なのかが一目で分かる仕組みを構築した。

図4 検索ワードクラウドの作成例 図4 検索ワードクラウドの作成例

 稲葉氏は「これらはもともと培ってきたデータ分析の知見をもとに、BIツール(Domo)の機能を使ってひと工夫加えた事例。BIツールはユーザーにとってだけでなく、データサイエンス室内でも大いに生産性に貢献している。どのような可視化が目的に対して適切なのかを検討する際にも、データの切り替えやグラフの切り替えがスムーズにできるため、可視化効果検証の労力が削減できた」と評価する。

 「課題解決には必ずしも高度で複雑なデータ分析が必要なわけではないが、データ分析の知見とデータ活用基盤があることが大前提だ」(稲葉氏)

国別の販売情報管理の俗人化を解消、レポートサイクルを短縮

 ダッシュボードを開発して社内にデータ活用を促進する役割を担うのはデータサイエンス室の有地拓也氏だ。グローバルな販売部門と国内の事業部門に対して、業務内容・プロセスに沿って開発したダッシュボードを展開していくのが有地氏のチームの役割だ。チーム5人体制でダッシュボードを開発する。

データサイエンス室 有地拓也氏 データサイエンス室 有地拓也氏

 従来、日本と海外含めて5カ国の売り上げ情報などは、各国の担当者が毎週Excelで集計し、レポートを作ってメールで共有することがルーティン業務になっていた。週次の数字しか把握できず、売り上げ以外のデータの利用は各国の担当者に任せられる状況だった。データの扱いが属人化しやすく、人の入れ替わりが多い拠点ではこの俗人化が大きなリスクとなっていた。

 そこで有地氏はBIツールで各国のデータを日別で可視化できるダッシュボードをわずか2カ月で開発した。各国が同じフォーマットで可視化できるようになったため、指標の比較もしやすくなった。

図5 3カ国に展開したダッシュボードの例 図5 3カ国に展開したダッシュボードの例

「本当にやりたいこと」を深掘りして議論する道具としてのBIツール

 有地氏は「Domoはアジャイルな開発に最適。開発の過程で可視化方法を話し合うときに、その場で変数やオプションを切り替えて、すぐにデータを可視化して議論できた。アイデアがすぐに形になる。議論しながら開発できたのが短時間で開発できた秘訣(ひけつ)」だと述べる。

 また、冒頭で佐藤氏が「挫折」と呼んだ課題について、「ハードウェアとソフトウェアの課題はDomoの導入で解決した。しかし変化への抵抗は完全には解決しておらず、今も挑戦中」だと言う。「ダッシュボード設計において、仕事のやり方に即した設計が大事。業務目的別のコンテンツ作成と可視化、業務プロセスに沿ったストーリーでの可視化を進めていく」。

 データを整理していつでも利用可能にするデータ活用基盤の構築、ユーザーの本当の目的を理解したデータ分析、そして多くの従業員を巻き込んでデータドリブンな事業にシフトさせるダッシュボード展開。どれが欠けてもデータ活用はうまく進まない。BIツールの長所を生かしながら、それにとどまらず独自の取り組みを進めているところに注目だ。

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