日立創業者…国力向上に尽力も追放された訳

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掲載日 2013/12/13
偉人の遺伝子をEasyに読み解く!キーマン列伝
#217日立創業者…国力向上に尽力も追放された訳 〜小平 浪平氏

日本における最大の総合電機メーカといえば日立製作所である。PCやサーバ、各種デジタルデバイスを始め、IT業界にも深い関わりのある大企業である。今回は、そんな日立製作所を紆余曲折のうえで大企業に育て上げた創業者、小平浪平氏(以下敬称略)をキーマンとして紹介しよう。

小平浪平は、1874年(明治7年)に栃木県下都賀郡(現・栃木市)にて誕生した。生家は資産家で父は教育熱心だったため、栃木高等小学校を卒業後に上京し、東京英語学校、第一高等中学校(後の第一高等学校)を経て東京帝国大学工科大学電気工学科へ入学した。

その父が没したことによって実家の財政は傾くものの、兄の尽力でそのまま大学へ通えた小平だった。しかし本人はどこ吹く風、学業もそこそこにテニスやボート、野球など当時としては最先端に近い遊びに興じる毎日だった。美術や写真にも凝ったという。そんなわけで学業優秀ではなかったものの、1900年に同大をなんとか卒業すると、小坂鉱山社へ電気主任技術者として入社した。

小平 浪平氏
1874年
栃木県下都賀郡にて誕生。
1900年
東京帝国大学を卒業。
1902年
止滝水力発電所が完成。
1904年
東京電灯社へ入社も2年ほどで退社。
1906年
日立鉱山社へ移籍。エンジニアとして活躍。
1910年
日立製作所を起業。
1951年
死去。享年77歳。

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