世界初プラズマテレビに最初に映された漢字

この記事をtweetする このエントリーをはてなブックマークに追加

掲載日 2013/07/26
偉人の遺伝子をEasyに読み解く!キーマン列伝
#198世界初プラズマテレビに最初に映された漢字 〜篠田 傳氏

 薄型テレビというと、かつては液晶ディスプレイパネルとプラズマディスプレイパネルがその双璧をなしていた。ところがご存じのように、プラズマテレビは液晶テレビの性能向上と低価格化に押されるようにして徐々にシェアを落としていき、近年ではいくつかのメーカがプラズマテレビ生産から撤退する事態となっている。しかしまだプラズマ製品を改良するべく、研究自体は続けられている。今回はそんなプラズマディスプレイを世界で初めて開発した篠田 傳氏(以下敬称略)をキーマンとして紹介しよう。

 篠田 傳は1948年に山口県にて誕生した。田舎で育ったごく普通の活発な少年だったというが、その才能は高校を卒業して入学した広島大学電子工学科で開花した。篠田は同大学では当初、シリコンについて研究したかったのだという。しかし研究室で師事した講師によって、プラズマ技術を知る。その講師は、数年前に渡米して最新のプラズマ技術を知り、研究室で実験を繰り返していた。希ガスを封じ込めたガラス容器内部で放電することで発色・発光するというその実験を見て、篠田が思いついたのは、これをカラーテレビに応用できないか、ということだった。

 大学を卒業すると、プラズマについての研究を進めていていくつかの製品も発売していた富士通へ入社する。ところが、当時の富士通のプラズマ製品といえばガソリンスタンドのメーター表示やバスの行き先表示などかなり限定的なものだった。そのためにコストが高く、それらの製品を生産していた明石工場では年間2億円もの赤字を出しているような状態だった。まさにその明石工場に配属された篠田はいきなり窮地に追い込まれた。

篠田 傳氏
1948年
山口県にて誕生。
1973年
広島大学大学院を修了。富士通へ入社。
1983年
カラープラズマディスプレイの基本構造を発明。
1992年
世界初の21型フルカラープラズマテレビを開発。
2001年
富士通研究所フェローに。
2005年
篠田プラズマ社設立。
2007年
富士通研究所を退職。

…この記事の続きは、会員限定です。  会員登録はこちら(無料)

続きを読むには・・・

会員登録をすると自動的にこの記事に戻り、続きが読めます。

会員登録(無料)・ログイン

このページの先頭へ

キーマンズ列伝/ 世界初プラズマテレビに最初に映された漢字 〜篠田 傳氏」の記事を一部ご紹介しました。
会員登録を行い、ログインすると、「キーマンズ列伝/ 世界初プラズマテレビに最初に映された漢字 〜篠田 傳氏」の記事の続きがお読みいただけます。


Myリストへ 印刷用ページへ

この記事をtweetする このエントリーをはてなブックマークに追加


この記事に掲載している情報は、掲載日時点のものです。変更となる場合がございますのでご了承下さい。 また、「キーマン列伝」の記事は、インターネット上に 配信されているニュース内容をもとに、キーマンズネットが編集して掲載しており、内容の正確性、真実性等を保証するものではありません。


30006171



このページの先頭へ

キーマンズネットとは

ページトップへ