ゲイツを一喝…日本人がMSの半分を稼いだ訳

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掲載日 2013/07/12
偉人の遺伝子をEasyに読み解く!キーマン列伝
#196ゲイツを一喝…日本人がMSの半分を稼いだ訳 〜西 和彦氏

 日本でパソコンが普及するきっかけの1つに「コンピュータ専門誌」の存在がある。パソコンの魅力を存分に伝えてくれたコンピュータ専門誌、関連誌は、一時期自動車専門誌の雑誌数を上回る勢いで刊行されていた。そんなコンピュータ専門誌の元祖といえば、ご存じの方も多いだろうが「I/O」、そして「アスキー」である。そんな2誌の立ち上げに深く関わっただけでなく、ビル・ゲイツ氏との関係も深かったと言われているのが、日本のITベンチャーの先駆けでもある西 和彦氏である。今回は、そんな西 和彦氏(以下敬称略)をキーマンとして紹介していこう。

 西 和彦は1956年、兵庫県にて誕生した。学校法人・須磨学園の経営者一族の長男として恵まれた幼少時代を過ごした。高校卒業後、1975年に早稲田大学理工学部へ入学。大学時代、日立のミニコンピュータ「HITAC10」と出会い、プログラミングの楽しみを知った。これが西にとって最初のターニングポイントとなる。プログラミングにハマった西はほとんど授業に出ず、大学には8年間在籍したものの結局除籍となるのだった。

 また在学中、JCSS(日本学生電子計算機連盟)が主催したコンピュータに関する論文コンクールで最優秀賞を受賞。当時としては珍しかったコンピュータ誌「コンピュートピア」に記事を執筆するようになった。そこで西が予感したのは、コンピュータに関する出版事業の開花だった。

西 和彦氏
1956年
兵庫県にて誕生。
1975年
早稲田大学理工学部へ進学。8年間在籍も最終的に除籍。
1976年
国内初のマイコン誌「I/O」創刊に参加。
1977年
アスキー出版(のちのアスキー)を起業。
1978年
ビル・ゲイツと直接会い、代理店契約を結ぶ。
1985年
Microsoft社取締役を辞任。代理店契約も解消。
1998年
アスキー社長を辞任。

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