900億円…日本一稼いだ男とイチローの関係

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掲載日 2013/06/28
偉人の遺伝子をEasyに読み解く!キーマン列伝
#194所得900億…日本一稼いだ男とイチローの関係 〜山内 溥氏

 先日、「現代ビジネス」誌が「戦後(1945年)から今日(2013年)まで日本一稼いだ人は?」というランキングを発表した(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36142)。堂々の1位は、任天堂の前社長・山内 溥氏だった。その総所得額は900億円を超えるという。2008年には米・フォーブス誌によって「日本の富豪トップ」にも認定されている。任天堂が花札会社として創立されたことをご存じの方は多いと思うが、同社を現在のような巨大なゲーム企業へ変貌させたのが、今回キーマンとして紹介する山内 溥氏(以下敬称略)その人なのである。

 山内 溥は、1927年に京都府京都市にて誕生した。1889年に任天堂を創業した山内房治郎の曾孫(孫の子)にあたる。幼少時は家庭の事情で祖父母に育てられたが、おおむね恵まれた環境だったようだ。高校卒業後は早稲田大学専門部(いまでいう専門学校。旧制大学に付属した教育機関)に進学し、法律を学んでいたが、1947年に任天堂の販売子会社・丸福が創業され、その取締役に就任することとなる。

 1949年に、任天堂社長だった祖父が病気で倒れ、急遽跡継ぎとなった。本来跡を継ぐべき山内の父は、彼が幼いときに妻ではない女性と駆け落ちして消息不明となってしまっていたのだった。まだ22歳という若さで、歴史ある会社の社長にならざるを得なかったのだ。しかも同社は労働争議のまっただなか。素人経営ながら積極的に社内改革を図り、経営を維持した。なお、後に父がふらりと戻って来た際には、門前払いして二度と会わなかったそうだ。

山内 溥氏
1927年
京都市にて誕生。
1949年
早稲田大学専門部を中退して任天堂関連会社取締役に。
1949年
任天堂社長に就任。
1953年
プラスティック製トランプを発売し経営を立て直す。
1960年代
多角経営に失敗して一転窮地に陥る。
1966年
ウルトラハンドのヒットをきっかけに玩具開発を本格化。
1980年
ゲーム&ウォッチが大ヒット。ゲーム会社という印象に。
1983年
ファミリーコンピュータが超ヒット。
1992年
シアトル・マリナーズをポケットマネーで買収。
2002年
社長の座から退く。現相談役。

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