方針はGHQ!産婦人科医からキヤノン社長へ

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掲載日 2013/05/17
偉人の遺伝子をEasyに読み解く!キーマン列伝
#188方針はGHQ!産婦人科医からキヤノン社長へ 〜御手洗 毅氏

 スマートフォンや携帯電話など小型デバイスなら何でも搭載されるほど一般的であるカメラ。昨今では一般的なカメラもほとんどがデジタルカメラになっている。本来“カメラ”といえばフィルムを使う、今でいう「銀塩カメラ」だったが、時代は大きく変わったものだ。今回は、そんな日本のカメラ産業を牽引してきたキヤノン株式会社の初代社長、御手洗 毅氏(以下敬称略)をキーマンとして紹介する。

 御手洗 毅は、1901年に大分県で誕生した。代々医師を生業としていた実家に生まれ、本人も幼少時から自然に医師を目指すこととなった。高校を卒業すると北海道大学へ進学した。1928年に医学部を卒業すると同大学の講師になったが、翌年に上京し、日本赤十字病院に産婦人科医師として勤務することとなった。そこで人生を変える出会いがあった。

 彼の患者に、国産カメラ製造を目指していた精機光学研究所の設立者の1人、内田三郎の妻がいたのだ。内田は証券会社社員だったが、カメラを趣味にしていた義兄・吉田五郎に「ライカに匹敵するような国産カメラをつくろう!」と説得され、1933年に精機光学研究所を立ち上げたのだった。研究所といってもアパートの一室だったというが、吉田の熱心な研究によって、翌1934年には「KWANON」と名付けられた試作機が完成した。のちの社名・ブランド名の「キヤノン」はこの「KWANON」が元となっている。

御手洗 毅氏
1901年
大分県にて誕生。
1928年
北海道帝国大学医学部を卒業。翌年に日本赤十字病院へ勤務。
1937年
精機光学工業の起業に関わり、監査役に就任。
1942年
同社社長に就任。
1947年
社名をキャノンカメラに変更。
1974年
社長を退任して会長に就任。
1984年
死去。享年84歳。

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