昭和34年に翻訳マシン…仏で絶賛の日本人

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掲載日 2012/03/30
偉人の遺伝子をEasyに読み解く!キーマン列伝
#133日本のコンピュータ、そして電子工業産業の礎を築いた 〜和田 弘氏

 日本のコンピュータ産業が世界的影響力を持ったのは、メーカーが技術力を持っていたのはもちろんだが、電子工業産業を国策的に推し進めたことも1つの要因である。今回紹介するキーマンは、そんな日本の黎明期のコンピュータを開発しただけでなく、電子産業の成立にも尽力した、和田 弘氏(以下敬称略)を紹介しよう。

 和田 弘は1914年、広島県にて誕生した。1938年に東京帝国大学(現・東京大学)工学部電気工学科を卒業して逓信省へ入省した。所属は電気試験所に決まったものの、翌1939年には海軍に志願して造兵中尉に。海軍では主にレーダーの研究を行なっていたという。技術少佐として終戦を迎え、1945年に電気試験所へ復帰し、1951年に工学博士号が授与された。

 1951年、和田にとって大きなターニングポイントが訪れる。MITへの留学が命じられたのだ。和田はMITでエレクトロニクスのめざましい発展を体感し、日本にとってそれが将来的にそれが重要な技術となることを確信して帰国した。帰国後に和田は、電気通信以外の弱電流工学を扱う電気試験所電子部を設立した。エレクトロニクスを「電子技術」と訳したのは和田自身だったという。

和田 弘氏
1914年
広島県にて誕生。東京帝国大学へ進学。
1948年
同大を卒業後、逓信省・電気試験所へ入所。
1951年
アメリカMITへ留学。電子工学の重要性を痛感する。
1956年
トランジスタ計算機「ETL MarkIII」を開発。
1959年
翻訳と文字認識が可能な計算機「やまと」を開発。
1960年
日本情報処理学会が設立。
2007年
死去。享年92歳。

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