#128懐かしのBASICはタイムシェアリングのために開発 〜ジョン・ケメニー氏
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IT業界に身を置いていて、1980年代ぐらいにパソコンを触っていたという人にとって「BASIC」は懐かしいプログラミング言語ではないだろうか? そして現在でも、「Visual BASIC」などにもその名を目にすることができる。今回は、そんなBASICの開発者の1人であるジョン・ケメニー氏(以下敬称略)をキーマンとして紹介しよう。
ジョン・ケメニーは1926年、ハンガリー・ブダペストにて誕生した。ユダヤ人である。そのため、1938年にドイツ軍のオーストリア侵攻が始まると、ケメニーは母と兄弟とともにイタリアを経由してアメリカ・ニューヨークへと脱出する。英語も話せずにニューヨークで新人生を開始したケメニーだが、徐々に頭角を現し、1944年にジョージ・ワシントン高校を主席で卒業するまでになった。
卒業後はプリンストン大学へと進学して数学と哲学を学んでいたケメニーだったが、第二次大戦終戦直後の1945年9月に徴兵される。これが彼の人生の大きなターニングポイントとなった。徴兵されたケメニーはロスアラモス研究所へ配属となる。ご存じの方も多いだろう、そう、あのマンハッタン計画で原子爆弾の開発のために設けられた国立研究所である。
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ジョン・ケメニー氏 |
- 1926年
- ハンガリー・ブダペストにて誕生。
- 1938年
- ハンガリーを脱出し、アメリカへ移住。
- 1945年
- プリンストン研究所でコンピュータの操作を学ぶ。
- 1955年
- ダートマス大学へ。コンピュータの研究を進める。
- 1964年
- BASICを発表。
- 1993年
- 死去。享年66歳。
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