世界初“ブラウン管テレビ”を作った日本人

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掲載日 2011/03/04
偉人の遺伝子をEasyに読み解く!キーマン列伝
#08030年の研究が実を結んだ「テレビの父」 〜高柳 健次郎氏

 知り合いに「世界で初めてブラウン管テレビに映ったモノって知ってる?」と尋ねてみると、「知ってる知ってる、カタカナの“イ”でしょ!」と返ってくることは少なくない。わりとポピュラーな豆知識なのだ。その一方で「そのブラウン管テレビを発明した人って知ってる?」に対して正確な答えが返ってくることはほとんどない。今回はそんな、テレビの父・高柳健次郎氏(以下敬称略)をキーマンとして紹介しよう。

 高柳健次郎は1899年、静岡県浜松市で誕生した。幼少の頃から電気回路をいじったり、模型作りに熱中したりするような少年だった。1912年、彼が13歳の時、タイタニック号沈没事件が起こった。その際、報道に無線が活躍したことを知り(2010/04/30号参照)、その魅力にとりつかれる。

                        

 高等小学校を卒業後は教員を目指し、静岡師範学校を経て1918年に東京高等工業学校の工業教員養成所に進む。そこで恩師である中村幸之助教授の「10年、20年先を目指してコツコツ勉強せよ」との訓話に激励され、教員を目指すとともに、かねてから興味のあった無線の研究も進めることを誓った。

高柳 健次郎氏
1899年
静岡県にて誕生。
1921年
東京高等工業学校(現・東京工業大学)を卒業。
1924年
浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)助教授に。テレビジョンの研究を開始。
1926年
ブラウン管による受像を世界で初めて成功。
1937年
NHKへ出向してテレビ放送の研究を続ける。
1946年
日本ビクターに入社。テレビ放送技術を確立し、テレビ受像器を完成。その後同社副社長、技術最高顧問などを歴任。
1990年
91歳にて没。

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